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【1993年5月】Jリーグ開幕、日本初のプロサッカーリーグ

Jリーグキング
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日本初のプロサッカーリーグ

1993年(平成5年)5月15日にJリーグがスタートしました。

開幕初年度は全10チーム、初代チェアマン(理事長)は川渕三郎氏。

Jリーグの公式テーマ曲「J’S THEME」はTUBUのギタリスト春畑道哉氏が作曲、Jリーグ開幕時の国歌斉唱はTUBEの前田亘輝氏が務めました。

Jリーグ初試合

Jリーグとしての初試合は5月15日に国立霞ヶ丘陸上競技場行われた「ヴェルディ川崎」対「横浜マリノス」になります。

試合自体は1-2で横浜マリノスが勝利しましたが、Jリーグとしての記念すべき初ゴールは、ヴェルディ川崎のマイヤーが挙げました。横浜マリノスは、エバートンとディアスがそれぞれ得点を挙げ、日本人Jリーガーの初ゴールは翌16日サンフレッチェ広島、風間八宏選手の初ゴールを待つことになります。

観客数は5万9626人で、関東地区での視聴率は最高で32.4%を記録しました。

ちなみに、当時のヴェルディ川崎の監督は松木安太郎氏。2017年現在はテレビのコメンテーターというイメージが強いですが、松木氏はすごい人だったんです。

開幕日となる15日には1試合しか行われませんでしたが、翌5月16日には「横浜フリューゲルス」対「清水エスパルス」、「サンフレッチェ広島」対「ジェフユナイテッド市原」、「鹿島アントラーズ」対「名古屋グランパスエイト」、「ガンバ大阪」対「浦和レッドダイヤモンズ」の4試合が行われました。

開幕初年度の加盟チーム

  • 鹿島アントラーズ
  • ジェフユナイテッド市原
  • 浦和レッドダイヤモンズ
  • ヴェルディ川崎
  • 横浜マリノス
  • 横浜フリューゲルス
  • 清水エスパルス
  • 名古屋グランパスエイト
  • ガンバ大阪
  • サンフレッチェ広島F.C

海外の著名選手

Jリーグ開幕年となった1993年、まだ未開のアジアの小リーグであるにも関わらず、世界の有名選手がJリーガーとして参戦してくれていました。

ジーコ(鹿島アントラーズ):1976年にブラジル代表に選出され、FIFAワールドカップには3度出場。1989年に引退し、翌1990年にブラジルのスポーツ大臣に任命され、政治的な仕事をしていましが、1991年に住友金属工業蹴球団(鹿島アントラーズ)からオファーを受け、再び現役選手に返り咲きました。ちなみに2002年には日本代表の監督に就任し、2006年FIFAワールドカップに出場しました。

リトバルスキー(ジェフユナイテッド市原):1981年に西ドイツ代表に選出され、FIFAワールドカップには3度出場、1990年にはFIFAワールドカップで優勝しています。1990年に代表を引退しましたが、1993年にジェフユナイテッド市原に移籍。1999年には横浜FCの初代監督に就任しました。

リネカー(名古屋グランパスエイト):1984年にイングランド代表に選出。1990年からはイングランド代表の主将を務め、1992年にイングランド代表通算2位となる48得点を挙げてイングランド代表から引退。1993年に名古屋グランパスエイトに移籍しました。ちなみにリネカーのJリーガー時代の年棒は2億6500万円で、当時最高年棒だったそうです。

初年度の結果

当時のJリーグは2ステージ制をとっており、ファーストステージはアントラーズが優勝、セカンドステージはヴェルディが優勝。アントラーズとヴェルディによるチャンピオンシップではヴェルディが優勝しております。

トリビア

本来Jリーグの開幕は3月なのですが、1993年4月8日から5月7日にワールドカップアジア一次予選が開催されていたので、Jリーグの開幕日を5月15日にずらしたそうです。

「Jリーグ」という言葉が1993年の新語・流行語大賞の年間大賞を受賞。

Jリーグ初のハットトリックは、1993年5月16日に行われた鹿島アントラーズ対名古屋グランパスエイト戦でジーコが3得点を挙げて達成。

2013年に5月15日が「Jリーグの日」と定められました。

出典:Wikipedia1993年Jリーグ開幕節 Wikipediaジーコ Wikipediaピエール・リトバルスキー Wikipediaゲーリー・リネカー

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