「あの日、あの場所、どんな事?」時代を振り返るタイムマシーンサイト

【1994年12月】1・2・3!プレイステーション発売

プレイステーション
Pocket

1・2・3!でプレステ発売

1994年(平成6年)12月3日にソニー・コンピュータエンタテインメントから据置き型ゲーム機『プレイステーション』が発売されました。発売日の12月3日が1・2・3と数字並びのことから、プレイステーションを売り出すときは、この1・2・3を強調したCM作りになっていました。

発売時のキャッチコピーは「全てのゲームは、ここに集まる」。発売時の希望小売価格は3万9800円。

プレステの数字

プレステの売り上げは、日本を含むアジア地域で2072万台、アメリカで約3967万台、全世界で1億240万台を売り上げ、家庭用ゲーム機としては初めて1億台を超えたゲーム機となりました。

プレステのソフトで最高の売り上げを記録したのは、日本では『ドラゴンクエスト7』の417万本、世界では『グランツーリスモ』の1085万本となります。

プレステで発売されたソフトは、日本だけで4324タイトル(廉価版など重複含む)。

ソフトウェア全体の累計出荷本数は日本だけで約2億8600万本、全世界では約9億6200万本となります。

プレステ開発秘話

元は『スーパーファミコン』のCDロム拡張機器として開発されたプレステですが、CDロムの権利関係から、このままプレステを発売してしまっては、ソニーに対して任天堂が従属的立場になることを危惧した任天堂米国法人社長の荒川實氏が、任天堂の山内溥社長に直訴し任天堂とソニーの共同開発が白紙になり、スーパーファミコンのCDロムドライブとして開発が進められていたプレステは日の目を見ることなく消えていくことになりました。

しかし、1992年6月に行われたソニーの経営会議で、久夛良木氏が試作品が出来上がってることを公表し、当時のソニーの社長、大賀典雄氏がゴーサインを出しソニー単独でのゲーム機業界に乗り出すことが決まったそうです。

ちなみに『プレイステーション』という名前は、スーパーファミコンのCDロムドライブの開発コードネームだったのですが、また新たに商標を取り直すと、調査などで半年以上かかることから、そのままプレイステーションという名前が製品名になったそうです。

王者任天堂に挑むチャレンジャー

当時の家庭用ゲーム市場は、ほぼ任天堂の独占状態で、新規参入のプレイステーションごときが、この牙城を崩すとは誰も思ってなかったように感じました。

ただ、SCE(ソニー・コンピュータエンタテインメント)は、サードパーティーに150万円という低価格で開発機材を提供したり、プログラマーの負担を軽減すべく、プログラムのライブラリを構築するなどしてサードパーティーを支援。結果として発売前の1994年夏ごろには契約したサードパーティーは200社を超えたといいます。

さらに、同じ時期にセガから家庭用ゲーム機『セガサターン』が発売され、マスメディアにより「次世代ゲーム機戦争」というキャッチーな話題が形成され、広く一般の人にも認知されることなりました。

その話題性の中にナムコから『リッジレーサー』『鉄拳』といった人気作が発売され、日本のRPGの代名詞ともいえる『ファイナルファンタジー』の新作となる『ファイナルファンタジー7』が1996年2月にプレステで発売されることが発表され、プレステ人気を不動のものにしました。

そして、1997年には『ファイナルファンタジー7』が発売され、さらにもう一つのRPGの雄『ドラゴンクエスト』の新作までもがプレステに発売されることが決まり、ここにてスーパーファミコンの次のゲーム機はプレイステーションであるということが、決定的になりました。

任天堂に捨てられたソニーが、任天堂を玉座から引きずり下ろす、なんともドラマチックな話でもあります。

出典:Wikipedia

SNSでフォローする