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【2015年7月】任天堂の岩田聡社長が55歳の若さで逝去

岩田聡社長
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早すぎる死

2015年(平成27年)7月11日に、任天堂の代表取締役だった岩田聡氏が胆管腫瘍のため亡くなられました。

満55歳という若さと、岩田聡社長の人柄の良さ、カリスマ力もあって、このニュースは世界中で大きく報道されました。

異例の抜擢で任天堂の社長に

2000年に当時の任天堂社長の山内溥氏に誘われ任天堂に入社した岩田聡氏は、取締役経営企画室長に就任。その2年後となる2002年には、山内氏から指名を受ける形で、任天堂の代表取締役社長に就任しました。

任天堂は1889年の創業以来、代々同族経営であったため、山内溥氏の次の社長は山内氏の長男(当時任天堂・広報室企画部部長)か婿嫁(当時任天堂アメリカ法人社長)と思われていた中に、任天堂入社2年目の岩田氏が社長に抜擢されたのは、異例中の異例となります。

ちなみに代表取締役社長就任時の岩田氏の年齢は42歳になります。

プログラマー岩田聡

元々はプログラマーだった岩田氏は、大学在学時代にHAL研究所にアルバイトとして勤務し、大学卒業後はそのままHAL研究所の社員となり、プログラマーとしてソフトウェアを開発していました。

岩田氏がHAL研究所に入って2年目の時に、ファミコンが発売され、岩田氏が任天堂まで営業に行き、HAL研究所として任天堂がリリースした「ピンボール」「ゴルフ」「バルーンファイト」といったファミコンソフトのプログラミングを担当していたそうです。

経営職をするようになっても、プログラマーとしての活躍は続き、制作が難航していた「マザー2」のプログラムを1から作り直したり、ポケモンの開発ツールなどの作成も行っていたそうです。

経営者岩田聡

1992年に経営危機に陥ったHAL研究所を、当時の任天堂社長だった山内氏が、岩田氏を社長にするのを条件にHAL研究所の再建に協力を申し出、それがきっかけで岩田氏が経営の仕事をするようになりました。

そして山内氏の目論見通り、岩田氏が社長に就任してから、わずか6年で15億円あった負債を完済し、HAL研究所は経営再建を成し遂げたそうです。

任天堂社長岩田聡

2002年に任天堂社長に就任した岩田氏は、当時のゲーム市場を見て、ゲーム離れ現象が進行していることを見抜き、ゲーム人口の拡大を基本戦略として、「ニンテンドーDS(2003年)」や「Wii(2006年)」などを市場に投入していきました。

その結果、就任から7年で任天堂の営業利益を1191億円から4872億円へと増やしたそうです。

任天堂のスマホ進出

スマートフォンの台頭により、任天堂がゲーム人口の拡大とターゲットしたライト層が、こぞってスマホゲームに奪われましたが、任天堂は2015年3月にDeNAと業務・資本提携を結び、スマートデバイス向けサービスの共同開発をすることや、任天堂IPのスマホアプリ進出を発表しました。

任天堂初のスマホアプリとなる「Miitomo(ミートモ)」は2016年3月17日リリース、世界中で大ヒットした「ポケモンGO」は2016年7月6日リリースと、岩田氏が任天堂IPがスマホアプリで大ヒットを飛ばすのを目にすることはありませんでしたが、家庭用ゲーム機メーカーとして、かたくなに他社ハードへのIP提供を拒み続けていた任天堂に、新たな可能性を提示し、その種をまいた岩田氏の経営手腕には驚きとともに尊敬の念を隠せません。

出典:Wikipedia
見出し画像引用:ニンテンドーダイレクト

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