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【2017年1月】稀勢の里が横綱に昇進、日本人横綱誕生は若乃花以来19年ぶり

横綱稀勢の里寛の奉納土俵入り
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19年ぶりの日本人横綱誕生

2017年(平成29年)1月25日、大相撲番付編成会議が開かれ、稀勢の里の第72代横綱昇進が決まりました。

日本人横綱誕生は1998年の若乃花以来19年ぶり、2003年初場所で貴乃花が引退して以来、大相撲の世界に日本人横綱は不在でしたが、14年ぶりに大相撲の世界に日本人横綱が帰ってまいりました。

年少記録に名を連ねるエリートから・・・・・

稀勢の里は、1986年7月3日生まれで、小学2年生のころから相撲をはじめ、中学2年のときに鳴門親方のスカウトを受け中学卒業と同時に角界入り。

2002年3月場所が初土俵となり、2004年には幕下優勝を果たし、同年十両に昇進。十両昇進は史上2番目の若さで(17歳9か月)、入幕後も史上3位の年少記録となる、わずか19歳2か月で三賞受賞(敢闘賞)、2006年7月には史上4位の年少記録となる19歳11か月で三役昇進を果たすなど早熟のエリートとも呼べる速さで昇進を果たしていました。

しかし、2007年以降は小結から陥落したり復帰したりを繰り返し、何度か優勝レースに名前があがるも、あと一歩のところで優勝を逃すなど伸び悩んでいた時期があり、2011年に大関に昇進したときは、新入幕から42場所での昇進となり、大関昇進は史上5位のスロー記録となっておりました。

優勝経験がないまま綱獲りに

2004年に幕下優勝をしたことはある稀勢の里ですが、幕内後は優勝経験なしのまま大関まで昇進。大関になったあとも優勝することがないままだったのですが、2013年には5月場所で13勝2敗の成績を残し、北の湖理事長から「優勝に準じる成績」と評価され、7月場所が初の綱獲りとなりました。

しかし、7月場所の成績は11勝4敗となってしまい、最初の綱獲りの可能性は消滅。

2013年11月場所には、優勝を逃したものの、日馬富士、白鵬といった両横綱から星を挙げたことが評価され、再び「優勝に準じる成績」と評価され、2014年1月場所が2度目の綱獲り場所となりましたが、2014年1月場所は7勝8敗と負け越し。

それからも何度か綱獲り場所を経験するも、ことごとくそれを逃し、7度目の綱獲りとなった2017年1月場所に悲願となる幕内後の初優勝を飾り、1月場所後に開かれた横綱審議員会では全会一致で横綱に推挙され、臨時理事会にて横綱昇進が決定。

角界入り後は数多くの年少記録に名前を残してきた稀勢の里ですが、気が付けば初土俵から89場所目での初優勝。大関昇進後31場所での優勝は史上最も遅い記録となりました。

優勝1回で横綱

優勝1回で横綱とは、ずいぶん評価基準が低いんじゃないか?と思う人もいるかと思いますが、稀勢の里は、2016年には史上初となる「優勝無しでの年間最多勝」を受賞しており、実力はあるが何か足りないと評価され続けていたほど力は認められていた力士でした。

さらに、稀勢の里が綱獲りをかけていた時代は、白鵬、日馬富士、鶴竜といった3横綱がいる時代であり、そういった強豪ひしめき合う時代で勝ちづつけることがどれだけ難しいかを想像すると、優勝回数がたった1回であっても、それがふさわしいものであるかがご理解いただけるかと思います。

ちなみに、初優勝までの道のりが長く険しかった稀勢の里ですが、横綱昇進後の3月場所で優勝し、2場所連続優勝も果たしております。

出展:Wikipedia-稀勢の里寛

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