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【1995年5月】野茂英雄さん、メジャーリーグーのマウンドに立つ

野茂英雄
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メジャーリーガー野茂英雄

1995年(平成7年)5月2日、ドジャースの野茂英雄さんがサンフランシスコ・ジャイアンツ戦に登板。日本人として2人目となるメジャーリーガーが誕生しました。

野茂英雄さんのメジャーでの活躍は日米で話題になり、1995年の新語・流行語大賞では「NOMO」が大賞を受賞しました。

日本から世界へ

野茂英雄さんは、1990年に近鉄バッファローズの選手としてプロデビュー。新人ながらも「最多勝利」「最優秀防御率」「最多奪三振」「最高勝率」の四冠に輝き、「ベストナイン」「新人王」「沢村栄治賞」「MVP」を受賞するなど、一年目から大活躍をされていました。

しかし、1994年の契約更改時に球団と折り合いがつかなかったり、新しく就任した鈴木監督との確執もあり、入団4年目にして近鉄バッファローズを任意引退し、メジャーリーグに挑戦となりました。

マイナーからメジャーへ

1995年2月にドジャースとマイナー契約を結んだ野茂英雄さんは、5月にはメジャーのグラウンドに立ち、6月にはメジャー初勝利を挙げ、同月には日本人メジャーリーガー初となる完封勝利も達成、9月にはノーヒットノーランまでも達成しました。

日本で活躍してるころからドクターKとの異名をとるほど、奪三振記録が印象ある野茂英雄さんでしたが、それはメジャーにいっても変わらず、ドジャースの球団新記録となる4試合で50奪三振を達成するなど、メジャーでもトルネード旋風を巻き起こしました。

そしてシーズン通してみると13勝6敗と、ドジャース7年ぶりの地区優勝に貢献し、奪三振についても236奪三振と最多奪三振のタイトルを獲得し、メジャーに渡ったばかりのころは、年棒980万円だったものが、翌年には3年430万ドル(当時のレートで約4億3000万円)で契約したそうです。

日本人メジャーリーガー初ホームラン

ちなみに、投手として活躍されていた野茂英雄さんでしたが、1998年には日本人メジャーリーガー初ホームランを記録しております。

出展:Wikipedia-野茂英雄

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