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【2002年5月】FIFAワールドカップ、日韓共同開催

サッカーワールドカップ日韓共同開催
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FIFAワールドカップ、初のアジア大会

2002年(平成14年)にサッカー、日本と韓国でFIFAワールドカップが開催されました。

開催日:2002年5月31日~6月30日。

優勝:ブラジル(5回目)

共同開催までの道のり

それまで欧州と南北アメリカのみでしか開催されていなかったFIFAワールドカップでしたが、1986年に当時のFIFA会長がアジア・アフリカ大陸で開催する案を打ち出し、日本は1989年に開催国に立候補し、日本から遅れて1993年には韓国が立候補しました。

その後、FIFA内の派閥闘争などにより、日本と韓国による共同開催案がFIFA内から浮上し、FIFAから日本韓国に共同開催案が打診され、それに応える形で、1996年5月31日にFIFAワールドカップ日韓共同開催が決まりました。

この2002年FIFAワールドカップは、21世紀初のワールドカップであると同時に、ワールドカップ初となるアジア大会、ワールドカップ初となる2か国共同開催となりました。

Jリーグとワールドカップ

1993年にJリーグが開幕、1998年にワールドカップ初出場と、日本サッカー界では大きなニュースが続いていましたが、しばらくするとブームも沈静化し、不況のあおりもあって、資金繰りに困るクラブが増え始めていたそうです。

しかしワールドカップが開催されることで、再びサッカー人気が盛り上がり日本中でワールドカップフィーバーが巻き起こり、2001年ごろからJリーグの観客動員数がプラスに転じたり、ワールドカップが閉幕したあとも、海外リーグへの人気が高まるなど、サッカー界全体の人気の底上げをした形になりました。

2002年FIFAワールドカップ日本代表メンバー

監督
フィリップ・トルシエ

コーチ
山本昌邦
アジャム・ブジャラリ・モハメッド
川俣則幸

ゴールキーパー
川口能活(ポーツマス)
楢崎正剛(名古屋グランパスエイト)
曽ヶ端準(鹿島アントラーズ)

ディフェンダー
秋田豊(鹿島アントラーズ)
松田直樹(横浜F・マリノス)
森岡隆三(清水エスパルス)
中田浩二(鹿島アントラーズ)
宮本恒靖(ガンバ大阪)

ミッドフィルダー
稲本潤一(アーセナル)
服部年宏(ジュビロ磐田)
中田英寿(パルマ)
森島寛晃(セレッソ大阪)
三都主アレサンドロ(清水エスパルス)
福西崇史(ジュビロ磐田)
小野伸二(フェイエノールト)
小笠原満男(鹿島アントラーズ)
明神智和(柏レイソル)
戸田和幸(清水エスパルス)
市川大祐(清水エスパルス)

フォワード
西澤明訓(セレッソ大阪)
中山雅史(ジュビロ磐田)
鈴木隆行(鹿島アントラーズ)
柳沢敦(鹿島アントラーズ)

日本代表の試合結果

日本は予選グループHに出場。

ベルギー、ロシア、チュニジアと予選を戦い、ベルギーには2-2で引き分け、ロシアには1-0で勝利、チュニジアには2-0で勝利と2勝1分けで無事に予選通過。

決勝トーナメントでは、トルコと対戦して0-1で敗れてしまいましたが、ワールドカップ初の決勝リーグ進出で、ベスト16という結果を残せた大会になりました。

共同開催となった韓国は、予選グループDで出場し、アメリカ、ポルトガル、ポーランドと戦い、2勝1分けで決勝トーナメントに進出。

決勝トーナメントでは、準決勝まで進み、準決勝でドイツにやぶれ、3位決定戦でトルコにやぶれ最終的には4位となりました。

壮大な大風呂敷と実装された機能

日本は立候補時に「バーチャルスタジアム構想」という、使われていないスタジアムに3次元映像を投影して観戦する壮大な大風呂敷を広げていましたが、実際に実装されたのは、メガビジョンといわれる大画面に試合風景を投影しただけのものでした。

しかも、そのメガビジョンに投影して観戦したのは、放映権の問題の都合で準決勝1試合のみだったそうです。

出典:Wikipedia-2002 FIFAワールドカップWikipedia-2002 FIFAワールドカップ日本代表

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